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嫋やかな野の花たち 

聖域に、いつも花は絶えない。荒れた土地に咲く花々は、疲れて蹲った闘士達の目と心を僅かに慰める。
慰霊地にも花は咲く。時が過ぎ墓標の名さえ風化しても、花だけは彼らに寄り添い続ける。
花のない季節にも、近隣の村々から献上され、感謝の意を込めて教皇の間やアテナ神殿に咲き誇る。
サーシャは時折、たっぷりと花瓶に盛られた花に触れてみる。彼女の遠い、最初の記憶にあったオリンポス山の花々より、色は鮮やかに、形は大きくなり、あの頃見たことのない姿のものもある。

色とりどりに揺れる花。可憐さと香りを競うのは、決して、物言わぬ花だけのことではない。
「お師匠ォ、今年の子達も粒揃いじゃないスか」
「マニゴルド、お前に見せるためではないぞ」
蟹座の男は、毎年新しい侍女やペプロス織りの少女達が選ばれる時期になると、教皇の間に顔を出す回数が増える。恋の一つも拾おうという算段だろう。ペプロス織りの、7歳から11歳という年頃の子供達には用がなさそうだがまめにからかいはしている。将来性を見込んでのことか。
だが得てして彼女達は、
「見た? アルバフィカ様。私、鏡を見るのがやになっちゃった」
「アスミタ様って、本当は女の方じゃないのかなあ?」
「アスミタ様はなんだか怖いよ。シジフォス様がいいなあ、うちのお父さんみたい」
と、他の極めて眉目優れた、あるいは身近で親切だが気安くはない闘士達に夢中だ。
そんな娘達が、春になれば聖域内の花園で花を摘む。聖域にだけ咲く固有の花が、乙女達の細い指を待っている。
皆、小さな花瓶に生けられて、女神の私室や像の前に飾られる栄誉に輝いた。あとは砂糖の中に漬けられて娘達の菓子になり、娘達の首を飾る花輪になりもする。想い人に贈られるものもあるだろう。
「いやーいい眺めっスねお師匠! 嫋やかな野の花たちってところだ!」
確かにその日の聖域は、乙女達の姿で華やぐ。蟹座の男も歩哨に立ちながら、満悦だ。
「……お前が嫋やかだの花だのと言うと、わしは背中が痒くてならん」
顔ぶれは年毎に変わっても、その景色はいつもと同じ。冬と違い遠くまで澄んだ空の下、乙女達とともに花園に立てば、心は晴れる。この空は遠くまで繋がっている。彼女の存在も知らない人々の住む土地まで。
花園の美しさよりもその空想を、サーシャは楽しんだ。

――野の花か。みんな野の花だとも。男も女もない。世界の、無心に空を見上げる人々はみな野の花だ

何かがちりっと、彼女の胸に触れた。
それが聞こえるようになったのは、いつからだろう?
時折、聖闘士達の声がサーシャの心に響く。
眠る前の僅かなひととき。戦いの勝利を捧げるもの。苦鳴の中で加護を求めるもの。死にゆく者の最期の願い、死した友への祈り。
拳を固め歯を食いしばり、内なる小宇宙に己を燃やすその刹那の輝き。
その中に、その呟きは異質だった。

――彼女もまた野の花であるのに、誰もそれには思い至らない

またあの声が聞こえる。暖かく優しく、悲しげに。
その声は、いつも千々に乱れていた。乱れながら、自分の未来ではなく、彼女自身の明日を祈った。
陽光を一身にに浴びて育った大樹のような、豊かな自負と自信に満ち、力に裏打ちされながら、常に強い風に吹き晒されているような不安を潜ませていた。
他の誰も気付いていないのだろうか。その声を感じながら、彼女は地の花に手を差し伸べた。サンダルの足元に、ニオイスミレが咲いている。

「シジフォスはいますか」
頭を巡らし、彼女は見知った姿を探した。ペプロス織りの幼子が立ち上がり、花園を出たところの通り道に佇む影に走り寄る。
「はい、ただいま御前に」
外での任務がなければ、いつも傍らにあるか、そっと隠れて見守っているか、そのどちらかだ。
その男が目の前に跪き、一時的に声は消えた。ああ、やはり、と彼女は思った。
誰のものかも定かではないその声は、幼い頃にはどこから届くものかもわからず、ただ、不思議な暖かいものとして、目覚め始めた力と一緒に、ただ受け止めていた。
やがて、声の一つ一つをたどることができるようになり、それに名をつけることを覚えたとき、彼女は自分を見守る声を知ったのだ。
「立ち上がって、シジフォス」
彼の目線は遥かに高くなる。輝く黄金を纏った威風堂々たる姿は視界を塞ぐようで、このか弱い花々に満ちた園には似つかわしくなかった。
「貴方にこの花をあげましょう」
小さく束ねた野の花を、サーシャは丈高い男に差し出した。
男は、日焼けした顔に驚きを満たした。
「ありがとうございます、女神よ」
大きく無骨な、手甲に覆われた手が、花束を受け取った。男は僅かに戸惑っているようでもある。花も風に揺れて、なにやら心細げだ。
「いい香りがするの。嗅いでみて」
花束を摘んだ指を、彼は高い鼻先に近付け、目を伏せた。濃く長い睫が、その頬に影を落とした。
いつもどこか緊張を感じさせる顔に、優しい、柔らかな笑みがよぎった。
「ああいい香りだ。ですが、何か悪いような気もしますね」
「シジフォスは、花が嫌いですか」
「野辺の花は、野にあるべきだと私は思ってしまうのです。こうして、重い体で花園に入るのも、罪深い気がします」
サーシャは、シジフォスの足元を見た。黄金の聖衣には、金属の靴底と、高い踵がついている。それらは確かに、か弱い花々を根まで傷つけてしまうだろう。
他の者達は、乙女達も、警護の黄金も、教皇も、それを気にする様子はない。
「貴方は優しいのですね」
と言うと、物悲しげな笑みが、花を手にした男の口元を彩った。
「もう二度と、野辺の花を傷つけずに生きていきたいと願っているだけです」

彼が傷つけた野辺の花とは、きっと、自分や兄、幼馴染の友人のことなのだろう。彼女は、花の香りにそれをやり過ごそうとする男の胸の奥にあるものを思った。『思い過ごし』が、彼女には悲しい。

――ああ、貴方こそ、私にとっては嫋やかな野の花に等しいの、シジフォス!

手首に絡まる花の飾り、今はその罪深さがわかる。摘み取った花は枯れることも、実をつけることもなく、いつまでも彼女と友人と、兄の身を飾り続ける。
今、彼女の身の周りを固める色とりどりの青銅や、優美と力に輝く白銀、威ある黄金の聖衣に身を包んだ男女は、彼女が摘んだ野の花だ。ここ聖域は彼女の作った花束だ。
一つ一つの野の花の名を、彼女は知っている。知りながら、色も形も香りも違う花たちを武器に変え、その血で一つ一つの勝利を贖い、神との戦を乗り越えていく。
それはなんと罪深いことだろう。なのに花の方が、自分を哀れに思うなんて。


「どうかなさいましたか」
シジフォスが、僅かに不安げに尋ねた。その青い瞳に彼女は見覚えがある。
いつかこの瞳が、こんな風にして彼女の瞳を覗き込んだ気がした。ペロポネソス戦争の頃だろうか、十字軍吹き荒れる頃だろうか、記憶は定かではないが確かにそうだった。
ああ、野の花は根がある限り、翌年には同じ花をつけるのだと、彼女は思い至った。たとえこの花が枯れても、いつか自分は彼に、彼らに会うだろう。
「いいえ、私はなんでもありませんよ、ただ、貴方が花を持つと、なんだか可愛らしい気がして」
可愛いと言われて言葉に詰まる男を前に、彼らが望むとおりに、春の日差しのように笑うことにした。彼ら野の花が、空をゆく太陽に望むのはそれだけだったから。

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