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カモメの飛ぶ空 

シジフォスは、神聖なる戦以外の場合において、女に手を上げたことは一度もない。
ごく子供の頃から、正義のために戦ってきた彼は、無体な暴力を振るったこともなければ、言葉によってなじったこともなかった。
それを誇りに思ったこともない。ごく当たり前のことに過ぎない。

「ほんとうに、もう戻れないの?」
幼い少女が、涙声で言った。
彼の手の中で、小さな手は湿っている。彼の掌には、童女の手首の花の鎖が、くすぐったく触れていた。
もう彼女の目には、目の前に広がるギリシャの港の光景も、蒼く輝く海の眺めも、頭上で泣き交わす海鳥も見えてはいないだろう。さっきまで、兄や友達に見せたいとはしゃいでいたのに。
「はい。もう戻ることはできません。ギリシャに着きましたから」
つい先ほど、二人で荷の積み下ろしを眺めながら、彼は真実を告げたに過ぎない。その途端、晴れ空は掻き曇った。
「あなたは女神アテナになるのです。戻ることはないでしょう、世界が平和に満たされぬ限り」
少女がきっと顔をあげ、彼を見詰めた。幼い非難がその瞳に見え、彼をたじろがせる。
「そして、みんな戦って死ぬの。シジフォスさんも、鎧を着て戦いにいって」
少女の赤らんだ頬の上を、また、新しい涙が転げ落ちていく。
大丈夫です、死にはしませんよ。子供の心を慮れば、そうはぐらかすべきかも知れない。しかし彼は、見え透いた嘘を吐けない。彼女は幼くとも智の女神だ。
「その時は、皆全力で戦いましょう」
「私もそうなの?」
「あなたは我々の旗頭となるのです、女神よ」
まるで、俺が女神をいじめているようではないか、シジフォスは愕然とする。

現実は非情なものだ。
代々の聖闘士がどれほど血を流そうと、戦いがなくなることはない。
宿命を背負って生まれた聖闘士たちも、代々の女神も、それは承知していた。進んで戦いに身を投じ、命を散らしてきたのだ。
「本当に私が女神なの?」
「はい。星の巡りが、力が、全てそれを示しています」
「どうしても私でなくてはいけないの?」
泣いて赤くなった頬に、髪が幾筋か張り付いている。指で取ると、その柔らかな感触に驚く。この少女が、何故女神でなくてはならないのだ? 自覚なきまま二度と戻れない旅路へ出なければならなかったのだ?
シジフォスはこの栄誉ある任務を誇りに思っていた。事情を教えるのも、その任務の一つだ。それは誰かが言わねばならぬことで、彼はその任に当たれるのは自分以外ないと納得していた。
「あなたでなくてはならないのです。この世に女神はただ一人」
なのにシジフォスよ、選ぶこともできない運命というものをこの童女に突きつけて泣かせるのは、俺にとって栄誉なことなのか?
「また会おうって約束したの。花輪にお願いをしたのよ」
呂律のおかしくなった舌で、女神は言った。彼は、繋いだ手がつけている儚い約束を思う。
「私は、あなたの先の運命を知りません。生きていればこの花輪が、結びつけてくれるでしょう」
少女が目の下を服の袖で拭った。すすり泣く声を必死で殺している。嘘ですよ、と言ってほしいとその小さな肩は願っている。
「ですが、今はどうか、我々とともにあって、我々を鼓舞してください。我々はあなたがいるだけで戦えるのです」
とうとう、小さな女神はその場にしゃがみこんだ。わっと泣く声が聞こえた。
荷を担ぐ男達や、船から降りる順番を待つ人々が振り返る。
女神の軽い体を掬うように抱き上げて、小さな頭を肩に埋めさせると、泣き声が心を軋ませるようであった。抱きしめて頭を撫でてやっても、それは小さな闘士の卵が泣いていれば誰にでもすることだ。
不幸な女神を慰める特別な言葉は、頭のどこを探してもなかった。岩を砕く力なら持つ彼も、女神の惨い運命は砕けない。
「決してあなたを死なせはしない。このシジフォスが、命を賭けてあなたを守りますから」
みんな死んじゃいや、と泣きじゃくる声を聞きながら、シジフォスも顔を挙げ、水鳥飛ぶ空を見上げた。鳥は、目が痛くなるほど青い空の中に滲んでいた。
彼はその時初めて、無力というものを知り、それは終生彼の前から去ることはなかった。

犬のおまわりさん。
迷子の子猫ちゃんが泣くとおまわりさんも泣きたくなるんだよ。


というかシジフォスを泣かせたかった。全力で。
女神を泣かせたこともあるだろうし、それが辛いこともあったんだろうなあ。
今は好きなだけ書いて確かな満足。
むう、私の中の嗜虐性をここまで引き出すキャラがいようとは……しかも二人も……

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