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休暇・5 

 帰宅

 扉の隙間から、磨き抜かれたモザイクの廊下に光が漏れ出している。誰かが中にいる。咄嗟に腰の短剣に手を掛けながら、セルピコは扉を開けた。
 途端に、むっとするほどの熱気と、薫り高い樫の燃える香りが顔を打つ。暖炉には薪が大量にくべられていた。まだ外は薄っすらと明るいのに。
 ベッドに、女が腰掛け、その炎を食い入るように見詰めていた。
「ファルネーゼ様」
 驚きとともに呼びかけた。はっとファルネーゼが振り向いた。
「どこにいたの、お前」
 セルピコは扉を大きく開け放った。それから、床に転がした木片の楔を扉の下に差し込んで、止めた。息苦しいような熱気の中にいると、窒息してしまいそうだ。
 また、若い男と貴婦人が密室にいるなど、あってはならないことだった。彼女の上にどのような醜聞が立つかわかったものではない。
「ファルネーゼ様、男の部屋を訪問してはいけませんよ、それも一人きりで」
 従者らしくたしなめる。左の肩に掛けたマントを脱ぎ、椅子の背に掛けた。
 図書館から持ち帰った本を机に置いて、窓に歩み寄り硝子戸を開け放った。二部屋しかない彼の居室に、涼しく清浄な大気が流れ込んだ。
 林となった裏庭を見下ろす。そこに表庭の作りこまれた美はなかったが、自然の荒々しい、乱暴な力があった。
 あの芥の中から生まれてきたような自分が住まうには、美しすぎる場所だ。
「やれやれ、蒸し風呂のようですね。少し外を散歩しませんか。お体にはその方が」
「ねえ、お前。私はどこに行っていたのと訊いたわ」
 セルピコは夕日に照らされた窓辺から振り返る。その髪の上で、橙色の日差しが跳ねた。
 ファルネーゼは寝台からすっくと立ち上がり、滑るように歩み寄ってくる。
「毎週毎週、どうしていなくなるの」
 鋭い険のある眼差しが、彼を見上げた。声の震えは危険な領域に達している。
「母に少し見舞いの品を持っていってやろうと思いまして」
「施療院にいるそうね? その割には帰りが遅いこと」
 この人は何を疑っているのだろう。毎週毎週、同じ言葉で自分をなじって。
「図書館に少しばかり寄りましたから。買い物もしましたし」
「どこかの女のところにでも行っていたのじゃない? お前も男なら、そういうこともあるでしょう」
 彼女の白い顔は薔薇色に染まっている。どうして怒った顔も、彼女はこんなに美しいのだろう。男である筈の自分が、彼女の言うようにしない理由が理解できる気がした。
「侍女? 台所女? それともどこかの娼婦かも知れないわね」
 ファルネーゼの顔は白く硬く、厳しい処女の表情をしている。他人の快楽を許せず人を傷付ける、老嬢のような瞳だった。
「図書館には、話をするだけで金を取る女達もたむろしているそうじゃないの。逢いに行っていたのは、その女でしょう!」
「そんな……。相手して貰えるような男じゃありませんよ、ぼく」
 そう言ったセルピコの頬を、白いしなやかな掌が音を立て叩いた。
 衝撃の後、じん、と熱が頬に走る。
「この私に嘘を吐くの? 毎週毎週抜け出して」
 顔を背け俯いて、彼は溜息を堪えた。
「図書館には高級娼婦が出入りするそうじゃないの、どうせそれ目当てでしょう」
 なんだか、夫の不実を責める妻の図ですね、ファルネーゼ様。
 けれど、実際のところ、彼女にそうやってなじられるのが嫌いではないような気がするのだった。
「潰す身上がありゃしませんって。あの人達と話すだけで幾ら掛かるか知ってます?」
 何故なら彼女はずっと苛立ちとともに彼を見ている。己の望むような存在でないことに焦れている。
「それなら行くな。私を置いて、どこへだって行くな」
「そんなこと言われても……」
「行かなければいいのよ。そうすれば、私だってお前を責めたりはしない」
 つのる妄想を無力な人間にぶつけるしかない、哀れな女だった。彼女をそうしたのは自分だと彼は知っている。なら、矛先が自分であるべきだった。それしか償える道がない。求めるものを与えることができずにいる償いは。
「……そんなこと、できませんよ。ぼくしか頼る人間がいないのですから」
 ファルネーゼの瞳に怒りが映った。そう、それをぼくにぶつければいいのです。そのためなら、ぼくは何度でもこの身を差し出そう。
 未だ夜は来ない。けれど、その長さが今から思われてならなかった。


※続きがあります

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